「峨山道」は、「峨山往来」とも称し、總持寺二祖峨山韶碩禅師が、輪島市門前町の總持寺と羽咋市酒井町にある永光寺の住職を兼ねていた暦応3年(1340年)から20余年間、往来した両寺を結ぶ13里(52km)の山道で、禅師は毎朝未明に永光寺の朝課を勤め、13里の険しい道を越えて、總持寺の朝の読経に間に合わせたと伝えられる。
總持寺では、朝粥を終え、禅師の来着を待ちつつゆっくり読経する「粥了諷経の大真読」のならわしが、禅師の没後650年余の今も行われている。
禅師の往来したコースは諸説があり定かではないが、今日、「峨山道」あるいは「峨山往来」と名の残る古道が能登に伝わる。總持寺が現在末寺15,000余を有し曹洞宗大本山となる基を築いたのは、この超人的な伝説に象徴される禅師の気概と情熱によるもので、古くから禅師の偉徳をしのび、その足跡を踏む「峨山越え」が行われており、昭和61年から開催されている「峨山道巡行」は現代の峨山越えとして多くの参加者を集めている。