曹洞宗の高祖・道元禅師と並び、太祖として尊崇される瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が正和元年(1312年)能登の国・酒井に開創した曹洞宗発展史上最も重要な地位を占める古刹である。

元亨元年(1321年)後醍醐天皇より「曹洞宗出世道場」の綸旨を賜り、勅願寺となった。足利尊氏の北朝時代には、光厳上皇が能登国利生塔を建立。足利直義も仏舎利二粒を三重の利生塔に納めて安穏を祈るなど隆盛を極めた。

応仁の乱で伽藍の大部分を焼失、その後、後土御門天皇の発願で再興されたが、天正7年(西暦1579年)、兵火により、七尾城とともに再び全山を焼亡するという悲運に見舞われた。

江戸時代に入り、前田利家が能登を領したときには寺領三百石を認め永光寺復興に尽力した。現在の建物は寛永以後の再興で、その伽藍は曹洞宗寺院の源流のひとつである。

永光寺(ようこうじ)|羽咋市公式ホームページ

PAGE TOP