峨山韶碩、建治元年(1275年)能登瓜生田(現津幡町)に生まれ、若くして比叡山に上り天台を学び、後、瑩山禅師に謁して禅の門に入り、禅師を援けて仏正伝の戒法をうけ、正中元年(1324年)總持寺二世となる。暦応3年(1340年)永光寺住職と総持寺住職を兼職する。貞治4年(1365年)没す。91歳。その間、人材育成に努め五院・二十五哲の俊僧を輩出し、五院輪住の制を定め、教線拡大と末寺拡張の基盤を築いた。

二祖・峨山韶碩禅師について|曹洞宗大本山總持寺「相承」

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